動きすぎてはいけない: ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学
今の自分には何が必要だろうかと神保町の本屋をぶらつきながら考えていた。平積みの本の群れからそれとなく手を伸ばしたこの本。
以前、単行本での発売時にタイトルに惹かれて購入したまではよかったものの、その後、見事に他の本の波に押し込められる形で消息が途絶えていた。再びこうして手に取って本の中身を好き勝手読み飛ばしていくうちに、なんだかそれから離れられなくなった。探せばどこかにあるだろうとその場で買わず、帰宅してから急いで本の詰まった段ボール箱を引っ張り出し、ばたばたと荒らし回った後、ようやく底の方から救い出した。
動きすぎてはいけない: ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学 (河出文庫)
- 作者: 千葉雅也
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2017/09/06
- メディア: 文庫
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人は生きていく過程で色々なものを背負わされる。それは仕事だったり、家族だったり、友人だったり、お金だったり、はたまた、自分や他人から押し付けられた思い込みや価値観だったり様々だ。人によってはそのような束縛が安心感に繋がるのだろうが、自分はそれらに対してすべてとは言わないまでも疑心を持ってそれらに接しているし、窮屈でしょうがないと思っている。これだけ今の社会が不安定感が増す中、ジッとしている方が難しいのかもしれない。いざ何か大きな変異が起きた際、荷物はできるだけ少ないほうが逃げるには好都合だ。こればかりはどちらが正解かどうかなんて後になってみないとわからない。
ドゥルーズは退職の際、雑誌のインタビューにこう答えている。
【旅行なんて気が向かないし、生成変化を乱したくなければ、動きすぎてはいけない。驚いたことにトインビーによれば、「遊牧民とは動かない者たちのことである」というわけです。「彼らは立ち去ることを拒むからこそ、遊牧民になる」というのです。】
既存の枠組み内での変化を望むのが一番現実的なのかもしれない。人間余裕がなくなると視野が狭くなって極端に走りやすい。切って捨てることは簡単だが、やっぱりやめたと元に戻れるほど世の中は柔軟じゃない。妥協点を見つけること。二律背反だけでなくグレーゾーンを認めること。愚かさから愚かさへのテレポーテーション。そこから見えてくる境地もあるのかもしれない。