ひとり暮らし

雑記。日々思うこと。

嫉妬と自己愛

 

 

 人を立てるということが苦手だ。わたしは割合、他人に対する興味が薄く、他人がどこで何をしていても、実害さえなければ素直に「そうなんだ」と受け入れ、話を流してしまう。もちろん話に適当な相槌を打ってはいるつもりなのだが、それでは満足してくれない人というのがいて、無視されたとか、聞いてないなどと思われてしまう。

 他人に共感するという能力がないかというと、決してそうではなく、ケガをした人がいればかわいそうだと思うし、結婚した人がいれば自分もうれしいと感じる。ただその多くはどこかで聞いたような話ばかりで、本人取ってはようやく苦労に苦労を重ねて手に入れた幸福、あまりにも理不尽な仕打ちなんてのもこちらからすれば真新しさというものが感じられない。自己顕示したい人々というのはおそらく、自己評価がかなり高く、わたしは特別な人間だと心のどこかで思っているふしがある。それがうまく働けば、自己成長につながるのかもしれないが、例を見ると大概が井の中の蛙でいることが多い。それじゃあお前は大海を知っているのかと自身に問うならば、「知らない」と無難に謙遜しておくが、その謙遜はどこか己惚れていて、「私は常識的な人間です」としたり顔をする人間のうさん臭さみたいなことも気を付けなければならない。結局のところ人はみなどこか己惚れたところがあるし、己惚れた態度を隠さない人間もそれはそれで素直でよろしいということにもなる。ただ人には見栄や体裁というのをひどく気にする人間というのがどこにでもいて、自己防衛のために自分ももっとうまく取り繕って、誉めたり持ち上げたりしないといけないのかもしれない。人に対して寛容でいることも、一種の自己愛に繋がるものだ。